菅原道真っていうより、天神様って言ったほうが、わかりやすい?

死んだ後天神様となる道真公が、時の
左大臣藤原時平の陰謀で九州・大宰府に左遷されたハナシは有名。

大宰府、都から遠いから、ジャマな政敵をおっぱらうのに都合のいい場所だったらしく、天神様ののちも、源高明、藤原伊周なんかが流されてます。歴史だわ。

流された道真公や、まわりのヒトビトの悲劇を道真の家来、白太夫の三つ子の子供である
梅王丸・松王丸・桜丸の3人のエピソードを交えながら描いたのが、
『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅ・てならいかがみ)名作です。

菅原家は学問の家柄、筆法(字の書きかただね)に秘伝があるのを流される直前に愛弟子に伝えるシーンから、このタイトルはとられてます。

いま、主に上演されるのは
『寺子屋』って幕。ここには道真出て来ません。

他の幕が最近あまり出ないのは、おもしろくないんじゃなくて
天神様=神様を、それらしく演じられる役者さんが最近いないせい。しかもできれば上方のヒトがいいし。

今の
仁左右衛門最近いい味、そろそろかなあ。

さて、『寺子屋』道真の筆法を伝えられた弟子の源蔵、田舎の山の中で付近の子供達相手に寺子屋を開いてます。

管家筆法を、そんな、ガキ相手にムダづかい、とか言わないように。

ところが源蔵、じつはこっそり道真の御子息、秀才様をかくまってるのです。

菅原家殲滅をたくらむ悪人藤原時平、村の庄屋を通して秀才様の首斬って渡せと圧力をかけます。せまじきものは宮仕え。

進退きわまった源蔵、さあ困った、そして
首がホンモノか見極めるべく(
首実検ていうのよ)親が道真に仕えていて、今は時平の舎人(とねり)である松王丸がやってきます・・・んで、歌舞伎のおやくそく、身代わり首のオハナシになるわけですが、出てくる
松王丸がね、かっこいいのだ。
舎人=牛飼いふぜいにしてはえらそうすぎ、という設もあるけど、平安も半ばをすぎると、宮中のイベントである馬競べなんかで主に活躍したのは、この舎人さんたちだったらしく、スポーツ選手みたいなもん?身分は低いけど、知名度や人気はなかなかのものだったみたい。

「やんごとなき舎人」って表現が「今昔物語」にあります。

↑余談。

んで松王丸のハナシ、最後まで見ると、悪役どころか主役だってコトをみんなが知ってみてるせいもあって前半のえらそーさやにくにくしさが、また、かっこよく感じちゃうのだ。

おハナシ、実はすべて松王丸の思惑どおりすすんでいくので、お芝居の中で松王丸のとる、どんな小さな動きも劇の展開に重要な意味を持っているわけさ。だからね、
ムチャクチャ目立つの。目がはなせない。

かっこいいというか、かっこよくないとお芝居にならないというか。

派手なたちまわりも、決めゼリフもないのに、ただ立ってるだけでかっこいいのが、この松王丸。

衣裳は江戸時代のものだけど、平安時代という夢のように遠い世界で半ば神格化されたキャラクターならではの、存在感かもしれません。

その男が、
最後に泣くのだ。もう、
もらい泣きしちゃいますとも。

身代わり首、誰でもなれるもんじゃないのだよ。
そのへんのガキじゃダメ。

ちゃんとキレイで品のいいお顔じゃないと。

かわいいお子さん見て
「いつでも身代わり首になれますね」ってほめても最近、イミわかんないのか誰もよろこんでくれない。

わかってもうれしくないほめことばかなあ・・・。